オシップ・ザッキン*
Ossip ZADKINE, 1890-1967
白ロシア(現在のベラルーシ共和国)の古都ヴィテブスクに生まれる。ロンドンで彫刻を学んだ後、1909年フランスに赴き、以後生涯のほとんどをパリで過ごす。キュビスムの影響を受け、人体を簡潔な幾何学形態に還元する彫刻作品を発表。1915-17年第一次世界大戦に従軍し、戦争の悲惨さに直面する。その後、故国を離れ新しい芸術表現をめざす「エコール・ド・パリ」を代表する人物として活躍。第二次世界大戦中は戦火を避けアメリカに渡る。1923年から二科展に出品するなど、日本とのつながりも深い。
身体を激しくねじり、内面の強い動きをしめす人間像や、優れた工芸作品を思わせる研ぎ澄まされた形態をもつ彫像など、多様な展開のなかに常に人間へのあたたかいまなざしを感じさせる作品を制作し続けた。
《破壊された都市》Destroyed City
1951(1956鋳造)
ブロンズ
250.0×130.0×120.0cm
オランダの都市ロッテルダムは、第二次世界大戦中の1940年5月14日、ドイツ軍の空爆により壊滅的な被害を受ける。戦後オランダを訪れ、その惨状を目撃したザッキンは、すぐさま《破壊された都市》の連作を開始した。1947年に制作された《「破壊された都市」の雛形》は大きな反響を呼び、ロッテルダム市は、爆撃の記憶を後世に伝え、またそこからの復興を願う記念碑の制作をザッキンに依頼する。1951年、ザッキンは先の雛形から発展させ最終的な形態を備えた《破壊された都市》と、腰から上だけをあらわした《「破壊された都市」のトルソ》を制作する。当館に収蔵される作品は、前者から1956年に1体のみ鋳造され、長くザッキンのアトリエの中庭に置かれていたものである。この彫像の石膏像を二倍に拡大して完成された記念碑は、ロッテルダム港に近いルーフェハーフェン北岸、オブロング広場において、1953年に除幕された。
彫像の胴体は、破壊された都市中心部を象徴する巨大な空洞に貫かれ、両腕は、人間の救いを祈るかのように天に突き上げられている。大きく開かれた口は、何を叫んでいるのだろうか。傍らには枝葉を全て焼き尽くされた一本の木が立ち、暴力によって多くの生命が奪われたことを、我々に喚起し続けている。
戦争という人間の愚行を弾劾する表現として、20世紀を代表する作品である。