牛島憲之
USHIJIMA Noriyuki, 1990-1997(明治33-平成9)
熊本市に生まれる。1922年東京美術学校西洋画科に入学、岡田三郎助教室に在籍する。校外での写生に熱中し、また歌舞伎や古典芸能に親しむ。27年、東京美術学校を卒業、同年第8回帝展に初入選。芝居やサーカスの光景から、働く人々を風景のなかに輝かしい色彩で描写する作品に転じる。35年第4回東光会展に《貝焼場》他を出品、K氏奨励賞を受賞する。46年《炎昼》により第2回日展で特選。49年立軌会を結成、会員の研究、制作を奨励する。不思議な光と誇張された形態による幻想的な風景を制作する一方で、水門やタンク、倉庫など戦後の日本経済の成長を予見する都市風景を厳格な画面構成と微妙な色調で描出する。54年東京藝術大学講師に就任、68年同大学教授を退官。69年芸術選奨文部大臣賞受賞、82年文化功労者に選ばれ、83年文化勲章を受章。
《五月の水門》Floodgate in May
1950(昭和25)
油彩・カンヴァス
72.5×91.0cm
牛島憲之は、1950年頃から好んで、水門や煙突、工場を題材とした、しっかりとした構築性を具え、そして叙情の魅力を放つ作品を次つぎと発表する。この作品でも、橋の向こう側に、水門のある土手が見える。水門の仕切りは半分開けられ、おだやかな水の広がりが画面手前に描かれている。「私は水が好きですね」と語る作者は、あまり綺麗ではなくて、しかも魚の住んでいそうなところが好い、よく描く水門も、よく魚を釣っていた場所だから好きだ、と述べている。 水面に映る土手や橋の光景に、橋げたや水門の落とす影が交錯して、画面からは、まさに五月(さつき)にふさわしい、明るいちょっと賑やかな響きが伝わってくる。その賑やかさは魚たちが潜む豊かな水面に似つかわしいものだろう。作者は水門という人工物に、急速な経済復興をとげる戦後日本の姿を予見したものといわれる。作者の洞察に満ちた眼差し。そのためか、ぽっかりと浮かぶ雲、シルエットと化した人物は、ユーモラスな雰囲気をもちながら、見る人に存在感を与える。