上田薫*
UEDA Kaoru, 1928 -
東京に生まれる。1954年、東京藝術大学卒業。アンフォルメルの画家、スーラージュやアルトゥングらに影響を受け、半抽象的な「翅」のシリーズなどを発表。56年、米MGM社のポスター・コンクールでグランプリを受賞したのをきっかけに、デザイン会社を設立。以後約10年間、グラフィック・デザイナーとして活躍する。70年、絵画制作を再開。以後、生玉子やジャム、ガラス瓶など身近なものをモチーフに、流れる液体や光沢を描きつづける。再現性の高い緻密な表現により、日本におけるスーパーリアリズムの第一人者として知られる。
《なま玉子》Raw Egg
1975(昭50)
油彩・カンヴァス
162.0×130.5cm
殻が割れて中身が落ちる瞬間の生玉子。日常の動作の一環にはあっても、肉眼でとらえることのできない一瞬の物体が、画面の中央に停止しつづけている。一見本物かと疑うようなリアルな表現でありながら、支えるものなく黒い背景に浮かんでいるこの物体は、限りなく非現実的で、異次元の静謐を漂わせている。玉子の白身と黄身の光沢のある表面には、明るい室内のようすがゆがんでかすかに映し出されているが、実体はなく、玉子の隔絶した印象を強めている。
上田薫は、玉子の落下する瞬間を撮影した写真をもとにしてこの作品を制作している。グラフィック・デザイナーとしての10年を経て、写真を制作に取り入れるようになった。また、カラー印刷の色分解の原理に則って色数をおさえたことが、画面のフラットな質感につながっている。このように、写真や印刷を忌憚なく利用しながら、これと両極にあると思えるような非現実的な独特の絵画世界を実現したのである。
生玉子のシリーズや滴り落ちる水あめ、ジャム、よく磨かれたスプーンなど、上田の選択したモティーフには、流れや光線といった移ろいやすい現象を映し出すという共通点がある。90年代以降、川の流れ、空へとモティーフは移行していくが、このような現象に対する変わらぬ探求をここにも見出すことができる。