主な収蔵作品

長谷川宗宅

HASEGAWA Sōtaku, ?-1611(?-慶長16)

長谷川派の祖である長谷川等伯(1539-1610)の次男であるが、詳しい伝記については不明。長谷川派は桃山から江戸中期にかけて京で活動した漢画の一派で、狩野派に伍して、大胆な意匠、豪華な装飾性をかねそなえた作風をうちたてた。近年では、柳橋水車図屏風のような、室町から桃山時代にかけて生まれ、定型化された画題の担い手としても注目されている。宗宅筆とわかる作例をみる限りでは、輪郭をとらないでかすむように描かれる金雲や、草木の繊細な表現に独自のものがあり、その作風に照らして、宗宅画を無落款の作品の中に探そうとする研究がすすめられている。等伯の歿後、長男久蔵も夭折していたので、宗宅は法橋(ほっきょう)に叙せられ後継者として認められたが、父亡きあとを統率するまもなく、その翌年に歿した。長谷川派は弟左近が継ぎ、江戸時代へとつないだ。

《柳橋水車図屏風》Bridge with Willow and Water Wheel

柳橋水車図屏風

桃山時代
紙本着色・六曲一隻屏風
144.5×325.2cm
戸方庵井上
コレクション

室町から桃山時代にかけて、絵画では伝統的な山水、花鳥、人物のほかに様々な画題が開拓され、それまでにない斬新な意匠が考案された。一双屏風に、工芸的意匠として描かれる場合が多いこれらの代表例が柳橋水車図である。描かれているのは、京の宇治橋とされる。宇治橋は浄土の地とみなされた平等院へわたる橋として、京の人々にはとりわけ貴ばれた。平安時代より絵巻などに描き継がれたこの橋は、実は古来の歌名所である。柳橋水車図には、描かれた橋をとおしてその背景にある文学を楽しむ構造が隠されている。
この画題の定型が、いつだれにより生み出されたかはいまだ定かではない。しかしながら、長谷川宗宅の号である「等後」の印の捺される本作は、右下から左上へ架け渡された橋、柳、蛇籠、水車など、すでに典型的な柳橋水車図の構図を示しており、この頃には動かしようのない定型が成立していたことがわかる。また、現存する作例には父等伯や、弟宗也の印章を有するものがあり、長谷川派がその成立に関与し、描き継いだ可能性が指摘されている。