志村ふくみ*
1924-(大正13-)
滋賀県近江八幡に生まれる。2歳で父方の叔父の養女となり、少女時代を上海と行き来して過ごす。17歳の時に、柳宗悦(やなぎむねよし)の民芸運動に参加していた実母に初めて機織りを習う。1955年離婚した後、実家の近江八幡で母の指導を受けながら、植物染料による染色と紬糸による織物を始め、本格的に織作家の道を歩き始めた。母と親交の深かった黒田辰秋や富本憲吉らの薫陶を受け、57年第4回日本伝統工芸展に初めて出品して入選。以後伝統工芸展に出品を続けて、奨励賞、文化財保護委員長賞などを次々と受賞。工芸の枠を越えた清新な表現は常に人々の関心を集めた。日本工芸会の蕃査員、理事をつとめるが近年退会。90年には「紬織」の重要無形文化財保持者に認定され、93年には文化功労者に選ばれている。エッセイストとしても評価は高い。
《鈴虫》Kimono Suzumushi
1959(昭和34)
紬織、絹
154.6×64.0cm
紬織で重要無形文化財保持者に認定された 染織作家志村ふくみの技法は、無形文化財という言葉の重さからみると、そのあまりの簡素さに驚かされる。 手紡ぎの絹糸を植物染料で染め、経糸と緯糸を交互に重ねる最も基本的な平織で織りあげるだけなのだから。 だがそのひとつひとつの行程を見ると、自然の理法への限りない帰依の連続であり、これほど贅沢なものがあるかと 思い知らされる。どのような細部もゆるがせにされてはいない。吟味された糸が、その生命の極みで採集された 植物染料を惜しみなく使った染液の中に気の遠くなるほどいくたびも浸されて、鮮やかにも典雅なる色を甦らせる。 植物の生命を移したその艶やかな色糸を前にして、志村ふくみの詩情は果てなくひろがる。植物が地上で過ごした日々が 、自然の営みが、そして日本の伝統美につらなる世界が、作者の心象風景となって織りだされるのである。
この一枚の着物はすでに一面に広がる秋草の野である。高く澄んだ虫の音がかすかな露をふくんだ秋草を震わせ、 中空にかかる玲瓏な月の光はあるかなしかの涼風にはこばれて草叢のすみずみまで分け行く。源氏物語「鈴虫」の巻に語られる 光源氏が催した八月十五夜の月見の宴に想を得たと思われるが、見事な視覚化である。第6回日本伝統工芸展に出品して 文化財保護委員長賞を受賞した、初期の代表作である。