主な収蔵作品

佐伯祐三

SAEKI Yūzō, 1898-1928(明治31-昭和3)

大阪府西成郡(現大阪市北区)の浄土真宗光徳寺に次男として生まれた。1917年9月に上京し川端画学校を経て、翌年、東京美術学校西洋画科に入学。藤島武二に師事した。中村彝、ルノワール、セザンヌの作風を吸収し、美術学校卒業後の23年11月パリヘ渡る。翌年の夏に里見勝蔵の紹介でヴラマンクを訪ね、「このアカデミック!」と烈しい批判を浴びせられたことを機にフォーヴィスムヘ転向。パリの街角や郊外の風景を激しく、素早い筆致で描くようになる。25年、サロン・ドートンヌ入選。26年、第13回二科展にて二科賞。看板やポスターの文字を鋭い線で描き込んだ画面は、パリで客死した画家の短い生涯への追慕ともあいまって、張り詰めた緊張感と生き急いだ生命力の大きさを感じさせ、死後大いに人気を集めた。また、日本人が抱くパリ風景のイメージの源泉ともなった。結核と神経衰弱のため、パリ郊外の精神病院で死去。

《パリ郊外風景》View of Parisian

パリ郊外風景

1924(大正13)頃
油彩・カンヴァス
60.5×72.8cm

この作品には、構図がほぼ同じでひとまわり大きい《パリ雪景》(個人蔵)という1925年の作品が存在する。
佐伯がパリへ渡ったのは23年11月。翌年の夏に里見勝蔵に連れられてヴラマンクに会うが、持参した佐伯の50号の裸婦を見たヴラマンクは「このアカデミック!」と怒号し、1時間半に渡って怒鳴り続けたという。佐伯がヴラマンク風のフォーヴに傾倒するきっかけになった有名な事件である。  この作風の大きな転換点となった24年には、セザンヌ風の《ノートルダム寺院遠望》のような作品から、《オワーズ河周辺風景》のように色彩の混濁による重苦しさと迫力の点で、同時期のヴラマンクや、同じくヴラマンクに影響を受けていた里見の作品をも凌駕するような作品まで幅がある。そして本作品はそれらの作品の間の過渡期の作として一応位置づけられる。先に挙げた《パリ雪景》も、本作とは混じり合った色彩の深みやスピード感のある激しい筆致において著しい対照を見せ、その間の急激な才能の開花を感じさせる。しかしながら、本作は一方で、生乾きの白の上に素早く青をひいて雲間に見える青空を表現する描き方や、ペインティングナイフを多用した木々や路の表現において、25年3月の年記とサインを持つ《レストラン》という作品に非常に近い描かれ方をしており、作風の推移、制作年の両面から今後改めて調査し、その位置づけ、制作年を再考する必要があると考えられる。