主な収蔵作品

オーギュスト・ロダン

Auguste RODIN, 1840-1917

パリに生まれる。19世紀フランスを代表する彫刻家。素描にもすぐれた。パリのプティト・エコール(後の装飾美術学校)に学んだ後、エコール・デ・ボザールを受験するものの失敗、建築装飾の仕事にたずさわり生計をたてる。1875年イタリアを旅行、ルネサンス彫刻に大きな影響をうけ、その成果は《青銅時代》(1876年)に結実する。80年にはフランス政府より、新設されたパリ装飾美術館のために扉の制作を依頼され、以後20年をかけて《地獄の門》の制作に従事する。また、84年に《カレーの市民》、91年に《バルザック記念像》と記念碑的な彫像の制作を依頼される。簡潔なかたまりにまとめられた彫像や浮彫によって、生命の不思議や、愛や希望に満たされた人間の内面の高まり、あるいは絶望に沈み、死に臨む人間の不安をみごとに表現したロダンは、国際的な名声を確立し、白樺派との交流など、日本との結びつきも深い。パリ郊外南西のムードンに歿する。

《彫刻家とミューズ》The Sculptor and His Muse

彫刻家とミューズ

1890
ブロンズ
64.7×49.5×53.7cm

容貌からロダンとわかる彫刻家が岩山に座っている。その膝の上に、芸術家に着想を伝える女神ミューズが立つ。女神は、はねあげた自分の右脚を 左手でつかみ、右手を軽く彫刻家の股間に触れながら彫刻家に上半身を預けている。大胆な姿勢ながら、 彼女の印象は静謐で軽やかだ。その一方で、女神が伝える狂おしいまでに大きな霊感の働きに、喜びそして苦しむのか、 彫刻家は片手で口を必死に押さえている。
この彫刻が作られた1890年頃、ロダンは生涯の大作《地獄の門》を制作中であった。また、女性彫刻家カミーユ・クローデルと激しくも稔り豊かな生活を送っている。豊かな黒髪を男性彫刻家にゆだねるミューズのすがたにクローデルの面影は求められる。 髪は活力、霊力、根源的な力を象徴する。この彫刻の背後では、ミューズのあふれる髪はやがて波状のうねりとなって、男性の背中を、そして岩山を満たす。その豊穣な流れは女神が伝えた霊感の大きさを物語るかのようだ。92年クローデルはロダンと別れ、やがて精神を患い晩年の30年間を病院で過ごす。ロダンでさえも与えられた公共彫刻の注文は少ない。女性彫刻家ならばその困難はさらに大きい。そのためか、彼女のつくる女性の彫像のいくつかでは、本作品とは異なり、髪は流れを失い肉体に纏わる。
本作品は1921(大正10)年に日本に招来されており、鋳造はおそらくロダン生前になされた。