主な収蔵作品

エドヴァルト・ムンク

Edvard MUNCH, 1863-1944

ノルウェー、ヘドマルク県リョーテンのエンゲルハウゲ農場に生まれる。1864年、クリスチャニア(1925年、オスロと改称)に移る。最初、工業専門学校に入学するが退学し、81年より王立美術工芸学校に学んだ。85年、パリに滞在し、マネの肖像画や印象派の手法に大きな影響を受ける。これ以降西ヨーロッパ各地を訪れ、ゴッホ、ロートレック、ゴーギャン、ドガの作品に学び、これらの芸術家の表現に導かれて、イプセンら北欧文学の巨匠があらわす、人間の悲惨な人生や死を主題として、象徴に満ちた芸術を創造する。青春の不安、老年の孤独、生の営みを抑圧された現代人の孤独を鮮やかな色彩で描いた作品は、20世紀に生きる人間の優れた表現として評価されている。ドイツ占領下のエーケリィにて死去。1963年、生誕百年を記念して、遺贈品を基にオスロ市立ムンク美術館が開館。

《オースゴールストランの夏》Summer in Aasgaardstrand

オースゴールストランの夏

1890年代
油彩・板
26.5×35.0cm

ノルウェーの首都、オスロから車で2時間ほどのところ、フィヨルドの海岸線にある小さな漁村、オースゴールストラン。ムンクは、この地を1880年代末から生涯にわたって繰り返し訪れ、ここを舞台に《星月夜》(1893)、《桟橋の少女たち》(1899-1901)など数多くの代表作を描いている。ムンクの画業の主軸となる「生命のフリーズ」の連作は、ここオースゴールストランで生み出された。 1890年、ムンクはパリ郊外のサン・クルーに住んでいたが、この作品は、その前後に描かれたものと考えられる。当時、パリのアンデパンダン展で支配的であったスーラの点描や印象主義の手法を自らの手で検証しているかのような画面には、それまでムンクが描いてきた生きることへの恐怖や苦悩、辛さは見られない。ムンクの精神が最も安定した時期に制作された数少ない作品のひとつといえる。夏の日差しに照り返された白い道や青い海、木々の緑には、自然の景観を満喫し、生きることへの喜びが謳われているようである。なお、本作品の裏面には、「ムンクより愛する友へスト君に」と記されている。

《桟橋の少女たち》The Girls on the Bridge

桟橋の少女たち

1918-20
色彩木版、リトグラフ・紙
49.8×42.7cm

白夜の夏、フィヨルドの水面に映る菩提樹の影にこれからの人生の不安と期待を感じる少女たち。ムンクは、この主題がよほど気に入っていたらしく、人物の向きや組み合わせを変え、油絵や版画であわせて12のヴァージョンを描いている。原作の油絵から17年後に制作されたこの版画は、左右は逆であるが、ほぼ原画の構図に従っている。ムンクの代表作《叫び》(1893)にも共通する上下に対照的な構図は、彼女たちの心理状況を映すかのように緊張感に満ちている。
ムンクはこの作品に限らず、版画技法上で様々な実験を重ねて、一つ一つの刷りごとに変化に富んだ表現を生み出しているが、本作では、最初に木版で青い版を刷り、亜鉛版の上にクレヨンで描き版をつくるリトグラフの技法によって、黄、赤、緑の線描を加えている。この線描はパステル画のような味わいがあり、手彩色に間違われることが多い。ポール・へルマンや他のフランスの版画家たちと同様に、ムンクも木版とリトグラフとによるこの併用技法によって1902年以降、作品を制作しており、その代表的な作例としては、《吸血鬼》(1895-1902)と《マドンナ》(1895-1902)がある。しかし、この2点の作品では、本作とは異なり黒で刷ったリトグラフを主版として使い、彩色に木版を使用している。