前田 寛治
MAETA Kanji, 1896-1930(明治29-昭和5)
鳥取県に生まれる。東京美術学校西洋画科で藤島武二の指導を受けた。在学中、鳥取に芸術団体砂丘社を創立し、1921年から帝展に出品する。22年渡仏し、里見勝蔵、佐伯祐三らとともにパリの芸術を吸収。マネやセザンヌ、特にクールベの写実主義に傾倒し、質感、量感、実在感を備えた絵画を目指す。25年に帰国し、26年には里見勝蔵らと1930年協会を結成。28年、自宅に前田写実研究所を開設し、古典的な構図とフォーヴィスム風の筆致による写実作品を発表した。33歳で東京にて夭折。
《姉妹》Sisters
1927(昭和2)
油彩・カンヴァス
145.5×97.0cm
1927年は、前年暮れに郷里で挙式した前田が新妻を伴って上京、新しい生活に入った年である。本作は、6月の1930年協会の第2回展に出品した9点の内の1点。椅子に腰掛ける女性像は。前田が繰り返し追求したテーマである。4ヵ月後の第8回帝展には、非常によく似た構図の《少女と子供》(鳥取県立博物館蔵)を出品しているが、色彩は大きく異なりまったく違った印象を受ける。後者では少女が目にも鮮やかな赤いワンピースを着ており、室内は明るい光りに溢れている。一方本作では、季節の違いもあるのだろうが、セーターを着込んだ姉妹が暗く陰鬱な空気の中で寄り添い、それゆえ作品からは厳しい社会の現実と姉妹の愛情が強く感じられる結果となった。前田は1930年協会と帝展とで作画態度を変えていたようで、前者は実験と研究の場、後者はその成果を示す大作発表の場であった。前田は写実技法の三つの条件として、「質感」「量感」「実在感」を挙げている。前田の本作での狙いは、生活する人間としての姉妹の存在感にあったのだろう。 なお、本作の下絵と考えられる素描が残っている(《少女と子供》倉吉博物館蔵)。