マリー・ローランサン*
Marie LAURENCIN, 1883-1956
パリに生まれる。セーヴルの工場で陶器の絵付けを、ついでパリに出て素描を学ぶ、1903-04年パリのアカデミー・アンベールに通い、同アカデミーで知り合ったブラックの紹介で、モンマルトルのアトリエ「洗濯船」に集うピカソら芸術家たちと親交を結ぶ。1907年ピカソを介して詩人のギヨーム・アポリネールを知る。ふたりの親密な交流は12年まで続いた。14年ドイツ人画家オットー・ヴェッチェン男爵と結婚、第一次世界大戦中は夫とスペインに亡命、21年単身パリに戻り、22年離婚が成立。キュビスムの影響を示唆する初期作品を経て、19年頃よりパステル風の色合いによる軽やかな筆致と、簡略化された線によって、優美でメランコリーな魅力を放つ女性のすがたを描く独自の様式を確立した。舞台美術にたずさわり、また挿画本の制作にもすぐれた。パリに歿する。
《ブルドッグを抱いた女》 Woman with a Bulldog
1914
油彩・カンヴァス
92.0×73.0cm
1906年ブラックの紹介でローランサンはパリのモンマルトルにあるアトリエ「洗濯船」に集うピカソたち前衛芸術家のグループの一員となった。翌年ローランサンはピカソを介して詩人アポリネールと出会う。しかしながら、ふたりの親密な交流は12年に終わる。キュビスムという「革命的な」空間表現をめざしたピカソたちの芸術を擁護したアポリネールとの決別は、ローランサンに、ピカソなど「洗濯船」の芸術家たちの影響を離れ、独自な様式を生み出す機会をあたえた。
14年に制作された本作品では、人物像の輪郭と背景が一体となる描写や、カーテンをあらわすのか、背景に踊る黒と赤の線を包む平面的な色面の表現にキュビスムの名残を見ることができる。とはいえ、この女性像は画面のなかですっと立つ。背後の空間まで感じられるような女性のすがたを、かつてキュビスムに親しんだローランサンは描出することはなかった。女性の頭部の後ろを貫く黒い曲線は、見る人に、人物の背後に存在する空間を感じさせる。ローランサンは、前年の13年に母を亡くし、この年ドイツ人画家オットー・ヴェッチェン男爵と結婚するものの、ドイツ国籍を得た彼女は、第一次世界大戦の勃発によって夫とスペインへの亡命を余儀なくされる。そのためか、自画像と思われる本作品の、背景に踊る愉快な曲線の動きは、逆に喜びを欠く女性の表情を際立たせている。