主な収蔵作品

今井俊満

IMAI Toshimitsu, 1928ー2002

京都嵐山にある、父俊雄の別荘で生まれる。幼少時を大阪、船場で過ごす。1941年、旧制武蔵高等学校尋常科入学のため上京。47年頃より絵を描き始める。48年、旧制武蔵高等学校文科卒業。52年、東京、日本橋白木屋画廊にて第1回個展開催。同年、渡仏。55年、ミシェル・タピエを知り、戦後世界の前衛美術運動の一翼を担ったアンフォルメル運動に参加。以後、欧州と日本を行き来しながら活動を展開し、日本に「アンフォルメル旋風」を巻き起こす。68年に帰国後も旺盛な制作活動を続けるとともに、それぞれの時代のサブ・カルチャーとも盛んに接触。83年、琳派にも似た絢爛豪華さを持つ「花鳥風月」シリーズ、92年に急性骨髄性白血病を発病してからは、黒い闇の広がる「ヒロシマ」シリーズ等の制作、つづいて日本の若者の風俗をテーマとした。

《晩秋》 Late Autumn

晩秋

1956-57(昭和31-32)
油彩・カンヴァス
195.0×114.0cm

1952年、渡仏し、当初ソルボンヌ大学で哲学や歴史を学びながら制作を続けていた今井が、美術批評家ミッシェル・タピエにサム・フランシスを介して出会うのは、55年のことである。以後今井は、ジョルジュ・マチュウやジャン=ポール・リオペル、堂本尚郎らとともにアンフォルメル運動を実践していく。
この作品は、56年の4月から翌年の4月にかけて制作されたもので、カンヴァスから突き出さんばかりの絵具が、絵画空間のなかで一個の塊としてあらわされ、色彩がダイナミックに流動し、躍動している様は、この作品に限りない奥深さを与えている。しかしながら、画面の激しさとは裏腹に、何か不思議な透徹した静けさが、この作品にはある。題名の《晩秋》とは、そうした静けさと、56年のまさに晩秋に届いた、突然の父の死の知らせを受けた作者の心情に由来するものなのかもしれない。
ちなみに同じ年に《早春》(大原美術館蔵)という作品が制作されていて、この二つの作品を比較するのも、作者の心情や季節感、またそれぞれの作品に対する思いと照らし合わせて、この作品に別の切り口からの解釈を与えてくれることだろう。