ラウル・デュフィ*
Raoul DUFY, 1877-1953
ル・アーヴルに生まれる。初めル・アーヴル市立美術学校に学び、1900年にはパリでエコール・デ・ボザールに入学する。翌年マルケを知り、共に制作するようになる。1905年、マティスの作品に影響され、フォーヴィスムに傾倒した作品を制作する。その後もセザンヌなどの影響を受けながら、1910年前半には、明るい色面の上に濃い色の細い線で対象物の形状を表すようになり、30年頃には線描が画面に独特の躍動感をもたらす表現を確立した。南仏の海辺や競馬場を多く描き、40年以後オーケストラの連作も制作するなど、人生における幸福な光景に主題を求めた。また、服飾デザイナー、ポール・ポワレとの仕事を契機に布地のデザインを行い、さらには舞台美術や個人宅の壁画等、装飾の仕事を多く手がけた。晩年はタピスリにも関心を示し、下絵制作に携わった。
《ポール・ヴィヤール博士の家族》Doctor Paul Viard and Family
1927-33頃
油彩・カンヴァス
114.5×110.0cm
芸術家に、苦しみを作品の中で解放する者と、それらを作品という自らの世界から閉め出す者の2種類がいるとしたら、デュフィは間違いなく後者である。青い海、緑の競馬場やそこに集う人々、華やかなオーケストラ。デュフィの作品には、生きる喜びがあふれている。
この作品は、デュフィが描いた、ある家族の肖像である。ポール・ヴィヤール博士は、デュフィの主治医であり、彼に自宅の食堂の壁全面を飾る壁画を依頼した人物でもある。ソファの肘かけに、一家の主らしく胸を張って腰掛けているのが博士で、その横に並んで座っているのは夫人と娘であろう。背景にはデュフィの好む淡い青色がたっぷりと平塗りされ、さらに各部分の色を塗った上に、流れるような線で人物が形作られている。色彩と線が保つ絶妙のバランス。それらは見る者に、心地よいリズムと明るく幸福な感情を与えてくれる。
社交的だったこの画家は、多くの友人たちの肖像を描いた。それは彼にとって友情の記念とも言うべきものである。デュフィは1949年にもヴィヤール博士の肖像を描き、その画面に「ポール・ヴィヤールへ、友ラウル・デュフィより」という言葉を添えている。私たちはこれらの肖像画に、「少々気取った、仕草の細やかな、薔薇色と黄金色の大天使」と友人たちに称された画家の、「快い人柄で人々を喜ばす」姿を垣間見る思いがするのである。