主な収蔵作品

金大受

KIN Daiju, 生歿年不詳

中国、南宋時代の仏画師、南宋中期以降、明州(浙江省寧波)には、寺院の儀式用の仏画をうけおう仏画師集団があり、需要の多い羅漢(らかん)や十王、涅槃(ねはん)などが制作されていたと考えられている。これらの画師は、伝記も作品も大陸には伝わらないが、日本にはかなりの作品が残されている。金大受もそのうちのひとり。室町時代までに日本にもたらされた中国絵画の目録とも言える『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』での記載以来、従来、西金居士とあらわされてきた。しかしながらこの名称は、落款を読みあやまってつけられたものであるという有力な説に従い、現在では金大受と正されている。

《羅漢図》Arhat with Attendants

羅漢図

中国・南宋時代
絹本着色・軸装
119.6×51.9cm
戸方庵井上コレクション・重要文化財

本作品は、十六羅漢図十六幅のうちの一幅で、第一尊者。ほかは東京国立博物館に十幅、残りの五幅は海外に流出後所在不明である。左上にある款記には「大宋明州車橋西金大受筆」とあり、作者および制作地が知れ、また、明州は南宋時代、 慶元と改号したのに応じて、慶元府と呼称をあらためているので、制作期も1195年以前とわかる。これらのことから、 南宋時代の基準的作例とみなされる。金大受は寧波(ニンポー)にあった仏画工房の作家の一人とされ、専門画家らしい練達した筆法を示している。 その図像は中国においてもかなり流布したものと見られ、同様な図様をしめす請来品も多い。一方、日本で制作された羅漢図のなかにも近似した作例は多く、奈良・唐招提寺本(鎌倉時代)、東京・霊雲寺本(鎌倉時代)、大阪・藤田美術館本(南北朝時代)などが、同じ系統のものと思われる。
また、表具裏に正徳元(1771)年の修理銘があり、それによると、本作をふくめた十六幅は、摂津国河辺郡の法華三昧寺多田院に伝来したことがわかる。