岸浪百艸居
KISHINAMI Hyakusōkyo, 1889-1952(明治22-昭和27)
群馬県邑楽郡館林町(現館林市)に生まれる。本名定司。父は草雲門下の南画家岸浪柳溪。1905年小室翠雲に入門。「静山」と名乗る。18年第12回文展に初入選。23年世田谷へ転居。多くの草花が植えられた敷地内の茶室を百艸庵と名付け、のち号を百艸居と改めた。25年第4回日本南画院展に入選。33年日本南画院同人となる。その間、22年には中国、29年には欧米諸国を外遊した。戦後は随筆集『魚に會ふ』等の著作を刊行。51年《魚類図鑑海魚の部》を昭和天皇に献上する。
《露葉霜條》Dewy Leaves, Frosted Twigs
1935(昭10)
紙本着色・六曲一双屏風
各169.3×345.6cm
〈百の草〉を名前に持つ岸浪百艸居は、世田谷区松原町の自邸の庭に、百をはるかに凌ぐ280余種もの草々を植え、写生をしたり画想を練る暮らしをおくっていた。《露葉霜條》は、初秋から晩秋への移り変わりを、六曲一双屏風に描いたものである。
愛らしい竜胆(りんどう)、紅葉した葉を落とし始めた山葡萄、アカゲラはそろそろ冬支度の頃なのか実を啄みに来ている。一つ一つのモティーフに深まりゆく秋の情感が、丁寧に込められている。そして、どことなく愁いを秘めた秋の陽の明るさや透明感が、細かい金の切箔で表されていて心憎い。
百艸居は、館林出身で同郷の小室翠雲に師事した。そして南画の近代化をおし進めた翠雲のもと、四季のうつろいの中で見せる草花の表情、風や光を描き、詠った日本人の心情を表す、南画の世界を追究した。本作品には、そうした百艸居の世界が、琳派の装飾性と近代の写実との融和によって、叙情豊かに表されている。(美術館ニュースNo.98より、一部改訂)