主な収蔵作品

クロード・モネ

Claude MONET, 1840-1926

商家の息子としてパリに生まれ、ル・アーヴルで育つ。1859年パリに出る。アカデミー・シュイスで出会ったピサロ、グレールのアトリエで知ったバジール、ルノワール、シスレーらとマネを中心とした画家たちのグループを形成する。60年代末に風景や都市風俗を戸外で直接カンヴァスに描く過程で、光や空気の微妙なふるえを、筆触分割と明るい色調で伝える印象主義を生み出し、70年代を通じ印象派の中心的存在となる。80年代末から、「積みわら」「ルーアン大聖堂」などのモティーフが、刻々と変化する光を受けて変貌する様相を連作という形式によって表現した。83年よりジヴェルニーに移り住み、同地で没するまで、自宅の庭に作った睡蓮の池を制作の場とした。光と大気に包まれた事物の描写を追求する過程で、光と色のエッセンスに凝集された絵画の自律性を獲得した。

《ジュフォス、夕方の印象》Jeufosse, the Effect in the Late Afternoon

ジュフォス、夕方の印象

1884
油彩・カンヴァス
59.5×81.0cm
群馬県企業局寄託作品

1880年代のモネは、フランス各地に長期のスケッチ旅行に出る一方、83年の4月末にジヴェルニーに移り住んでからは、旅と旅の合間に、その近辺でもモティーフを捜し求めている。本作品も夏にノルマンディー海岸を訪れた後の9月初旬に、ジヴェルニーより5キロほどセーヌ河を上った左岸に位置するジュフォスで描かれている。まだ夏の名残をとどめる明るい日差しが水面や中洲のメルヴィル島を輝かせる一方、山のこちら側や手前の川岸は日陰になり始め、光の色も刻々と青みを帯びていき、「午後の終わりの印象」という原題どおり、夕暮れが迫っていることを感じさせる。そして、右手前に長く伸びる影、右奥の山肌の日陰、左の岸の幾分頼りない日差しが、長いストローク、短い点描などのタッチの違いにより描き分けられ、風景を的確に示す一方、タッチの集まりが自律的なリズムを刻んでいる。夏の名残をとどめる木々の緑色に、初秋の冷たい空気を感じさせる紫色を対比させる、すなわち、光のさまざまな表情を色のコントラストによって描き出す方法は、モネの鋭敏な目によって作り出されたものであり、見る者は風景の中にそれまで気づかなかった光の色を発見することになる。モネは本作品と同じ構図で異なる光の状態の作品を描くなど、風景の多彩な変化と格闘しつつ、80年代の末には連作という手法に向かう。

《睡蓮》Water Lilies (Nymphéas)

睡蓮

1914-17
油彩・カンヴァス
131.0×95.0cm
群馬県企業局寄託作品

 モネは1883年から、パリ北西の町ジヴェルニーに転居し、自宅に丹精こめて庭園をこしらえた。モネはこの庭園を20年かけて完成し、「最も美しい自分の作品」と自負している。1900年以後26年に亡くなる直前まで、モネはこの庭園のなかに作られた、睡蓮が浮かぶ「水の庭」を主題に選び制作を行う。
 これらの作品では、モネは睡蓮の葉の広がりと水面に浮かぶ花によって、鏡のように静かな水面の存在をあらわしている。そして、水面の鮮やかな青色には空の色まで反映され、大胆な筆の動きは、水中に動く水草と水面に映る柳など周囲の樹木のすがたとが渾然一体となった様子をみごとに表現している。
 睡蓮の池を主題としたモネの作品では、当初、構図のなかで空と池がそれぞれ半分を占めていた。やがて空は画面の上部に後退し、1905年以降は、画面全体をほとんど睡蓮の池が占めるようになり、画家の眼は水面により接近していく。こうして、青と緑、そしてピンクの色彩が広がる画面から、水面に映る空を走る雲、池の周囲にそびえる樹木、そして水流に漂う水草の動きを知覚する働きは、見る人の感覚に、そして見る人の内面により深くゆだねられるようになる。そのためであろう、自然界の静と動のドラマを注視し、ついには生命の神秘にまで迫るような深い内容をそなえたモネの晩年の睡蓮の連作は、個人の内面への洞察を深める20世紀の芸術家に、とりわけ高く評価されている 。