ジョルジュ・ルオー*
Georges ROUAULT, 1871-1958
パリ北東部のラ・ヴィレット街に生まれる。はじめステンド・グラス職人の徒弟になる。1890年、エコール・デ・ボザールに入学、エリ・ドローネの教室に入る。92年、ドローネの後任としてギュスターヴ・モローが教授に就任、ルオーはモローに師事。98年、モローが亡くなり、悲嘆にくれるが、5年後の1903年、モロー邸がモロー美術館になり、ルオーは初代館長に就任。同年、サロン・ドートンヌの創設に参加。13年、画商アンブロワーズ・ヴォラールがルオーのアトリエにあったすべての作品を購入。17年、ヴォラールと專属契約。24年、レジオン・ドヌール勲章受章。45年、ニューヨーク近代美術館で大回顧展開催。その後世界各地で大回顧展が開催される。パリの自宅で死去、国葬がサン・ジェルマン・デ・プレ教会で営まれた。
《秋》Autumn
1938
油彩・カンヴァス
68.0×102.0cm
ルオーの作品には大きく分けて四つのモティーフがある。サーカス、娼婦、法廷、そしてこの作品のような聖書的世界である。この作品に描かれているのは、木立、赤い屋根の家、そしてキリストを思わせる人物を中心とする人々である。画面は絵の具を盛り上げたかのように荒い。しかしそこには、静けさが、ただ調和のとれた静けさが漂う。それを福音的情景とでもいうのだろうか。形と色の調和。それはルオーがまだステンド・グラス職人イルシュの下で徒弟奉公をしていた頃、彩色されたガラスの破片のあまりの美しさにその扱いをためらったほどの美に対する敬虔さからくるものか。この作品においてもステンド・グラスを連想させるような光が、そう大きくはない画面全体に宗教的な安逸と平穏をもって流れる。
この作品が制作された年、ルオーは67歳になっていた。この年、ニューヨークの近代美術館では版画展が開かれ、翌年、専属契約を結んでいた画商ヴォラールが死んだ。ルオーがヴォラールの相続人に対して起こした、未完成作品返却の訴訟に勝つのがその9年後であり、その結果約800点の作品がルオーの元に戻ってきたが、そのなかの315点は、裁判所の立会いのもとルオーによって焼却された。この作品が、その時どこにあったかはわかっていない。