岡田謙三
OKADA Kenzō, 1902-1982(明治35-昭和57)
横浜で貿易商を営む岡田家の三男に生まれる。1922年、東京美術学校西洋画科に入学するが、2年後にパリに渡り美術学校を中退。パリで出会った海老原喜之助の「絵はつくるものだよ」という忠告を胸に、27年、帰国。29年、第16回二科展に初入選。柔らかな色彩による風俗的な人物像で二科会を舞台に活躍。50年、これまで築いたものを捨て、夫人とともに渡米し作風を抽象に転じる。数年の苦闘を経て、53年、ポロックやロスコを世に送り出したニューヨークのベティ・パーソンズ画廊で個展。その芸術は、「幽玄」と通じる「ユーゲニズム」の名で呼ばれ、以後数々の賞に輝く。58年、第29回ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として出品。以後、日本とアメリカを行き来し、60年、アメリカの市民権を獲得。82年、東京自由が丘の自宅で倒れ、死去。
《ダブル・ランドスケープ》Double Landscape
1974
油彩・カンヴァス
198.0×458.0cm
70年代になって、「梅」や「帆掛船」といった具象的なイメージが再び画面に現れるようになった岡田謙三の画風は、晩年になるにつれ、日本の古典的な装飾美を思わせる画面へと変化する。
本作では、題名にも表れているとおり、左右で作風の異なる二重の風景が展開し、作者の中の具象と抽象とのせめぎ合いのようにも見て取れる。とりわけ左側の画面には、日本の伝統的な「八橋」のモチーフや草花が認められ、作品全体に配された色面は金雲のようでもある。左右に分かれるカンヴァス、それぞれの画面に記されたサインなどから考えて、本作が分割可能な作品として描かれた可能性もあるが、2面で連続する構図からは、日本の障壁画や屏風を連想する方が自然だろう。